No1  切なさと喜びと感動と

(2001年8月/母A)

お盆で部活が休みになった息子と高校野球を見ていた。いつもは「メシ」、「別に」、「うっせー」が会話の90%の 彼だが、休みが続いてリラックスしているのか今日はいつになく言葉が滑らかだ。テレビの画面では、負けたチームの 選手が持参した袋に黙々と土を入れている。 毎試合繰り返される見慣れた光景。けれど何度見ても胸にこみあげてくるものがあり、 思わず涙ぐんでしまう。

「控えのまま試合に出られなかった選手もさぁ、土を持って帰るのかなぁ」息子がポツリと呟く。 「行ったけど出られなかった甲子園の想い出って、なんか虚しいな。スタンドで応援してる奴らとかは、どうするんだろうね。」

「そりゃあ同じチームなんだから、出られても出られなくても皆一緒に戦ったという気持ちで、想い出だって一緒なんじゃないの」 と私。息子は何も答えない。中2の彼にとって、3年生が引退した今はレギュラー取りの大変な時期。色々な想いもあるのだろう。

スポーツの世界は厳しい。野球にしても、少年野球の段階で既に実力が全て。どんなに好きでも、頑張って練習しても、 実力の無い者が報われる場は少ない。そして、そのことを誰よりもよく分っているのは子供達自身なのだろう。

私はもともと判官贔屓。絶大な人気に支えられ、潤沢な資金を元に一流選手を集める巨人より、市民球団の広島や、 万年最下位のダメ阪神を応援してしまう。選手でも、才能や体格に恵まれ、甲子園で活躍してドラフトで上位指名された 野球エリートより、挫折を繰り返しながらも挫けず頑張っている選手に魅力を感じる。ましてそれが我が子となれば尚のこと、 その不器用さが不憫でたまらない。

(レギュラーになれなくても、好きなことを一生懸命やるってそれだけでステキなことだと思うよ)と心の中で呟くが、 今の彼にそんな綺麗事が通じないことは私にも分る。華々しく活躍してくれなくても、母親としての願いは、ただ、 大好きな野球を通して心も身体も強く大きく成長して欲しい、ということだけなのだけれど??。

グリーンファイターで活動していた頃の想い出は、私にとって一生の宝物。子供達は言葉にできないくらい沢山の 感動を分けてくれた。どの子も皆可愛くて、そしてそれぞれにカッコ良かった。素晴らしい想い出をくれた子供達、 お世話になった監督やコーチの皆様には本当に感謝している。今はグランドからも足が遠のき、ただ遠くから見守ることしか できなくなってしまったけれど、子供達皆がそれぞれの場所で悔いの無い日々を過ごすことができますように、 辛いことも苦しいことも糧として豊かな人生を送れますように、と心から祈っている。

追記 息子の机の上に何気なく置かれていた学校通信に載っていた投書を紹介します。

ぼくは背番号がもらえなかった。下級生と一緒にスタンドから声援を送った。熊本大会の2回戦で、代表校となった 済々黌と対戦し、最後の打者の打球が二塁手のグラブに入った瞬間ぼくの野球は終わった。

「務め違わぬなら天の与えも違うことなし」。これを合言葉に毎日のきびしい練習に耐えてきた。そのかいあって、 地元放送局主催の大会で優勝。「NHK旗大会」ではベスト4に進んだ。この大会では、ぼくは一塁ベースに立つことができた。

それから二ヶ月。夏の熊本大会のメンバー発表があった。だが、ぼくの名前はなかった。

その夜は、ほとんど眠れなかった。眠ろうとすると、これまでの苦しかったこと、つらかったことなどが走馬燈のように 頭の中をぐるぐると駆けめぐるのだった。これも今では、三年間のよい思い出になろうとしている。

ともあれぼくの高校野球は終わった。野球を通して学んだことは、山ほどある。それをこれからの人生に生かしていく。

最後になったが、毎日、練習着を洗ってくれた母に「ありがとう」。

熊本市 高校生 17才 (朝日新聞より)


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